2015年01月22日

薄紅デイトリッパーのJPOPにおける位置づけ

#実はこの前の記事の続きです。ミリオンライブ楽曲の制作を担当しているランティスという会社の背景であるJPOPについて個人的に整理するための記事です


薄紅デイトリッパーという楽曲は、先年末に発表されたアイカツ最新曲。2015年第三弾としてのアーケードゲームでのリリースも始まっています。この曲については精細に分析した記事があります。この記事における「音頭」という主張はともかく、この楽曲がいいとこ取りのキメラであるという指摘はその通りだろうと思います。そしてこのようなキメラが成り立つ背景には明治の文明開化以来、西洋音楽の受容の努力を続けてきた日本音楽の歴史背景があります。

日本大衆音楽の歴史
こちらの歴史を俯瞰した記事によれば、その始まりは大正時代に遡ります。抜粋して訳してみましょう。
「日本の大衆音楽は、演歌とポップスに分かれる前は流行歌と呼ばれ、明治時代をその源流に持つが、日本の研究者はその始まりを、ジャンルとして国中に広く認知された大正時代であると考えている。大正時代に至り、明治時代に輸入された西洋音楽の技法や楽器が広く使われ始めた。ジャズやブルースなどの西洋音楽のジャンルに影響され、流行歌の演奏にはバイオリンやハーモニカ、ギターなどが編成された。だがしかし、そのメロディーはしばしば日本の伝統的な五音音階で書かれていた」
教科書の音楽史では滝廉太郎や山田耕筰の名前を挙げて、日本における西洋音楽の受容は完成を見た的な記述をするのですが、大衆音楽はその後も西洋の最新ジャンルの受容を続けていきます。
例えば歌謡曲。今でこそ昭和を代表する古い音楽ですが、その端緒はオペラやドイツリートの歌手による、クラシックに強い影響を受けた当時としては最新の「歌曲」でした。歌謡曲がメロディーライン偏重になるのはこうした由来のためでもあります。
一方で西洋音楽のリズムの受容は大正時代に輸入されたジャズがあったものの、太平洋戦争による中断を余儀なくされます。戦後は進駐軍に聞かせたジャズ、ブギウギやマンボ。プレスリーの出現から始まるロカビリーブーム。ビートルズ影響を受けたグループサウンズ、と次々新しい潮流が生まれ、8ビートが受容されていきます。
その後も70年代のフォークソング、ニューミュージック、80年代前半テクノサウンド、80年代後半のバンドブームを経て、90年代のいわゆるJPOPに至ります。JPOPは流通側からの、従来の大衆音楽の主流であった歌謡曲との便宜的な分類ですが、リズムを受容した日本の大衆音楽ともいえ、今現在もHIOHOPやクラブサウンドの成果を食みつつその内実は変化しています。

↓つづく
posted by tlo at 17:27 | TrackBack(0) | 日記