2015年06月18日

アイマスPの見た映画ラブライブ! 感想

ネタバレ上等です。

以下改行しながら私のスペック紹介。

・ラブライブを知ったのはうしわかPのアイマスMADから。

・TVシリーズは一切見てません。

・μ'sメンバーの名前と顔はかろうじて一致できる。

・最初のベスト盤CDは買いました。

・良かった曲はDarling!!

・かしこいかわいいエリーチカ

・世界の矢沢

・かな子Pとしてシンパシーを感じるので希がドム呼ばわりされるのは心が痛む。

・むしろ花陽のがかな子ポジであることに最近気づいた。

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本編です


TVシリーズ全然見てないのに面白く、意外と言えば意外でしたが、素直に楽しめたというのが率直な感想です。

起:ラブライブのプロモーションの為μ'sが海外ライブへ向かう
承:ライブ成功、一躍有名人に
転:更なるプロモーションの為μ's活動継続を要請される
結:穂乃果悩みながらもμ's活動終了を決める

この一連の流れがすっきりしている上にテンポ良く展開するので、何も知らなくとも大丈夫だったのかなと。ただアイマス世界的常識はもちろん現実の常識も通用しないので「これはこういうものなのだ」と割り切って見る必要はありました。招待されて渡航した筈なのに、現地でμ'sを出迎える人間はおろか通訳ガイドさえいないとか。それでも「こういうものだ」として割り切る努力を、面白さが上回っていたように思います。

カメラワークの面白み
ドラマパートは俯瞰やパンなど非常にアニメ的なカットが多く、アニメシンデレラガールズ1話のようなフィックス中心の実写的なコンテが好きな自分にとっては非常に疲れるものでした。特に冒頭の子供の頃の穂乃果が水たまりを飛び越えようとするシーン。走る穂乃果をアップでフォローするのはともかく、小鳥を足下からパンするとか意味不明なカットが多すぎて全く個人的な趣味には合いませんでした。象徴的なシーンだからもう少しじっくりみせればいいのに…とあくまで個人的な感想なんですが。
ただ、そうしたカメラワークやレイアウトも所謂「突然歌うよ」と呼ばれるミュージカルパートになると俄然面白く。NYでのレンガ張りの壁を背景に非常階段を降りていく凜のカットとか、帰国後の秋葉原脱出の際、3年生組3人がTV出演してるかと思えば、それを見ているにこ宅に疲れた様子でどっとやってくる所とか…この辺のミュージックビデオを見ているような楽しさは映像の快楽といって良いぐらいの出来で、ここだけでも金払って見た価値はありあました。
もう一カ所こうしたアニメ的なカメラワークが効果的に使われている所があって、それが帰国後μ'sメンバーが空港?で女子高生達にサイン責めに合うシーン。メンバー4人が背中合わせになってどうなっているの?と口々に当惑のセリフを言うのを、ぐるぐるとカメラが回って映していくのですが、背中合わせと向かい合わせという違いこそあれSPEEDのMy GraduationのMVを思い出して映像的にすごく面白かった上に、メンバーの当惑がカメラワークによっても描写されていて、何故空港に制服着た女子高生がこんなにいるのかこういうものなのだと割り切って上でも、ハッとさせられたり。

象徴的シーンの展開
私たちは夢でもみているのかな、海外ライブ成功したのも夢なのかも、招待されたこと自体が夢だった?、ラブライブで優勝できたのも夢かもしれないよ、もしかしたら閉校を聞かされた時から私たち夢をみているのかも……と、このシーンで何故穂乃果達はここまで困惑しているのか分からず、ラブライブで優勝したんだからもう有名人なのだろうと私のようなニワカイバーは思っていたのですが、どうやらラブライブは甲子園やら花園やらと違ってメディアの注目を集めるものでは無く、スクールアイドルというのは軟式テニスや精々ソフトボールのようなマイナースポーツ的扱いなのだと気づく、というかそういうものだと仮定。そしてこの困惑があるからこそ、ラブライブドーム大会プロモーションの為のμ's活動継続の要請は一介の女子高生にはあまりに重いものだと気づかされるという。ここからはいろいろと意味深なシーンが増えてきます。
例えば穂乃果の妹達がスクールアイドルを始めるから練習場所をどこが良いのか穂乃果に訪ねるシーン。屋上ですれば良いよと穂乃果は答えますが、妹はそこはお姉ちゃん達μ'sがいると不安げ。μ'sがトップに居続ける限り、後に続く生徒には練習場所さえないという暗示。
また、ここでNYで道に迷った時に助けてくれたストリートシンガーのお姉さんが再び現れ、選択に迷う穂乃果を導きます。彼女は穂乃果の見た幻なのか、実在の人物なのかは考察も随所で上がっているかもしれませんが、この映画自体あまりに寓話的、あるいはメタファーに溢れています。シンデレラに出てくる魔法使いの実在を誰も問わないように、彼女も「そういうもの」なのでしょう。
飛べるよと彼女が穂乃果に指し示した花園の泉は、冒頭で子供時代の穂乃果が飛ぼうとしていた水たまりのリフレインで、キャラクタの輪郭線が黒から茶に変わっていたりと細かい所まで描写に手が入っており、子供じみたメルヘンチックな風景でありながらあまりに幻想的で美しいと思いました。

穂乃果の選択
私は学園を救うためにスクールアイドルを始めた。スクールアイドルは限りが有るからこそ輝くし、楽しい。私はスクールアイドルにこだわりたい。穂乃果はμ'sの活動終了を決断します。μ'sはそもそも部活動であり、メンバーと共有しているにしてもあくまで私的なものという感覚。
映像的にはライブシーンでこれは明確で、NYライブはブロードウェーなのに見物人はおろか通行人の気配さえありません。秋葉原でのライブは大勢のスクールアイドルこそ描かれていていますが(ダンスの微妙なずれまで描写されていてこれは驚きました)、やはり見物人はほとんど描写されません。通行人や見物客を描く時間が無いという事情もあるでしょうが、スクールアイドルというものは活動している本人と、その仲間達の中だけで完結するものだという解釈もできそうです。
そしてこの感覚はアニメシンデレラガールズ1期で描写された渋谷凜のそれに近く、彼女にとってもアイドル活動は「夢中になれる何か」というあくまで私的なものです。渋谷凜も世界線が違えばスクールアイドルになっていたのかにゃーとか妄想も膨らみます。
さらに穂乃果の選択は、765の仲間、P、スタッフ、ファン、自分を支えてくれるすべての人達がいるから私がいると、そのすべてを背負った天海春香と一見真逆です。が、面白い事に穂乃果がμ's終了を決めた朝にスクールアイドルにこだわりたいと独白するシーンで、私は天海春香だからのカットと似た構図がさりげなく使われています。
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背後の空間に背負うものを暗示するこの構図。穂乃果もまたメンバーやラブライブという大会、そしてスクールアイドルという活動を背負っての決断だった事が伺えます。

劇場版の春香はアイドルマスターというコンテンツが分断されていた時代に求められた統合の象徴でした。そして劇場版の穂乃果の選択もラブライブ=μ'sでない事を周知させる為に必要な事でした。そこにはコンテンツを運営する側のオトナの事情というものがあります。ただ、そんな透けて見える事情も飛び越えて、穂乃果の選択はごく自然に受け入れられるものに感じられました。
posted by tlo at 02:34| 日記