2008年12月21日

語り語られ7




イベント 『じっくり語り語られてみよう』 に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.18: ねこ雪歩◎My Best Friend

ノーマルPV最強説がある。いかなる編集機材でハリウッド並のエフェクトをつけようが、どんな気持ちいいシンクロでダンスを組もうが、ノーマルPVには勝てないというものだ。それもMADを認めない原理主義的なPではなく、ニコマスPからも時折こういう説が唱えられるのである。
現実として、ステージMADへの回帰傾向があるとはいえ「完璧な捏造ステージ」が作られるのは最早時間の問題でしかないと思う。私が「Pの生理感覚に行き着く」と結論づけたシンクロについてもミルモブロガーによる熱心な研究によりその奥義が暴かれつつある。だがそれでも、私もノーマルPV最強説に頷かざるを得ない部分がある。
理由の一つは、モニターの向こうにアイドルがいると思わざるを得ないような生命感、存在感だ。TGSトレーラーの衝撃を覚えている人も多いだろう。モニターの向こうでGo my wayを歌い踊るアイドル達に「ぬるぬる動く」といった技術的な感想以上のなにかを感じた人は多かったに違いない。開発スタッフはモーションキャプチャーで取り込んだ実際のダンサーのダンスそのままを表現するように苦心したはずだ。その成果は2ndダンサーと3rdダンサーの振りを見ていて分かる。本来同じフリをしなくてならない部分でも、2人目と3人目のダンスは微妙にずれていたりする。さらに、恐ろしいのはアイドル達の表情だろう。フレーム毎に追っていくと単に表情が哀から喜に変わるのではなく、時には間に何とも表現できない別の表情が差し挟んであったりする。フレーム毎に追わなければ分からないそのこだわりが、多くのP達を彼岸へ誘うのだろう。果たしてMADでここまで存在感溢れる表現が出来るだろうか?
そしてもう一つの理由は、「自分だけのアイドル」というP達の想いだろう。無印の「一年プロデュースする」というゲームシステムは、上記のアイドル達の存在感と相まって「プレーヤー」に自分が「プロデューサー」であるという強固な幻想を植え付ける。アイドルが頑張ればPは応援する。アイドルが悲しめばPは励ます。アイドルが喜べば一緒に喜ぶ。そう、オーデション勝利の報酬としての「ノーマルPV」はいかなるライターが巧みに書いたシナリオよりも遥かに感動的になるのだ。

上記の視点に立つと、この「最強のノーマルPV」に限りなく近いMADはすでに存在していたりする。


蔵人P作品

以前私もノーマルPVの再編集をしてみて、単に奇抜なカメラカットを狙っただけの代物になってしまった苦い経験がある。もちろんカメラカットやエフェクトに凝るのは「手段の一つ」としてはアリだ。だけど、それにはやはり確固たるバックボーンが必要と思う。この蔵人Pの作品はニコマスの流れを作った道標の一つであり、M@sterver.を音源とする「MAD」ではあるのだけれど、蔵人Pの想いが詰め込まれたこれはノーマルPVとは言えないだろうか? 

ノーマルPVに新たな意味づけを行うという形での再編集は、非常に面白い試みになると思う。誰もが見慣れたものであるだけに、その試みが成功したときは目に見えて別物になるはずだ。それがどんな形になるのか想像も出来ないけれど、きっとヘタなMADじゃ太刀打ちできない「作品」になると、私は思う。
posted by tlo at 15:49 | TrackBack(0) | 動画紹介
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