2009年08月12日

やってくれた喃

見る専ブログ界隈で話題の時雨PのTigerEyes。それをDie棟梁PのTigerEyesと比較してみる試み。まず音楽的素養が全くないのを承知で、Tiger Eyes(以下、虎眼と略)という曲を分析などしてみる。
この曲で印象的なのは、「流れる」ようなストリングスの伴奏とバスドラが「刻む」ビートだ。もっと細かく聞いていくと、バスドラのビートの上にはスネア、ハイハット、パーカッションが複雑なリズムを打ち、ビートと一緒にベースがコードを進行し、伴奏も印象的なストリングスの他にアコースティックギター、シンセが奏でられている。ボーカル、ギター、ベース、ドラムで成立するバンドミュージックとは違う音の多層性は如何にもクラブミュージックだ。

そして千早は、この複雑に組み上げられた曲を歌い踊ることになる。

純粋に映像作品としてみたとき、Die棟梁Pの虎眼は完璧としか言えない。特に入りは絶妙で、静かなピアノから入るこの曲に、棟梁Pは視線を分散を図る。画面を分割し、次々動きながらカットインしてくる絵。0:24には千早の目が現れるが同時に右側で虎が飛び出してくるので、やはり視線は分散されてしまうのだ。0:30のパーカッションのリズムが始まると同時に見開かれる千早の目に釘付けになるのは、道理だ。そしてこの作品の主題が、千早=虎であることが明確に伝わる。
さらに棟梁虎眼は全体的に減速ダンスである。BPM123のこの曲に、エージェントやGMWなどの高速ダンスまでも使っているのは、当時借り物Pだった故の苦渋の選択だったかもしれないが、これが逆に曲のゆったりとした「流れ」を作っている。この「ゆったりとした流れの心地よさ」が棟梁虎眼の胆であり、さらに"Tiger Eyes"という曲の胆なのではなかろうか。
「シンクロはエフェクト」という言葉が「曲の視覚化」という意味ならば、これほどシンクロ率の高い作品はそうそう無いと思うのだ。

対して時雨虎眼はビートを「刻む」。使われているダンスも0:30からのポジティブが象徴するようにBPMに近しい、ビートを「刻む」ダンスである。はっきりといえば曲の視覚化という意味において、この曲でビートを刻むのは正解ではないだろう。事実、棟梁虎眼のようなダンスMADとしての心地よさは乏しいと言わざるを得ない。
では、時雨虎眼が棟梁虎眼に劣っているかと言えばそうではない。ニコマスは再生数とマイリス数で評価を争う映像品評会だけでは(そういう側面があるのは否定しないけど)決して無いからだ。
あくまで個人的な印象でしかないのだが、この作品は時雨Pの挑戦という側面が強いと感じる。千早の挑戦でなく、時雨Pの挑戦である。時雨Pは千早と相談してあれこれと演出プランを練ったというよりは、もう千早はこの曲を歌い踊れて時雨Pはそれをドキュメンタリーとして撮した。そんな印象だ。つまりTigerEyesという「曲のPV」ではなく「千早のPV」なのではなかろうか。
千早を表現しようとするならば、シンクロはエフェクト以上のものであるならば、「ダンスの身体性」は必須であろう。減速ダンスを使えば人が踊るダンスとしては不自然となる。そこに千早はいて、千早は等速のダンスで歌うのだ。

以上、あくまで個人的な印象である。が、ニコマスにおいてはP名システムがあって、動画には動画単体以上の別の意味が生じてくる。だから時雨虎眼は時雨Pとは不可分で、そういう文脈で読むべきなのだろうとそう思う次第。


Die棟梁P作品


時雨P作品
posted by tlo at 20:39 | TrackBack(0) | 動画紹介
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