2011年03月17日

シンクロ概論3

「音で撮る」と記録映像を撮影するカメラマンから聞いた事がある。例えばスピーチを撮影する際、ファインダーを見るのでなく、マイクで拾ったスピーチを聞き、文節が切れた所に合わせてパンやズームをするのだという。さらに音声トラックさえしっかり録ってあれば、映像は後から編集できるとも。
視覚情報は人の認知をねじ曲げることが出来る。見るという行為は、網膜に映る物理現象ではなく、脳で処理される心理現象でもあるからだ。認知のねじ曲げは錯視に見られる空間認知に留まらず、クレショフのモンタージュ実験に見られるように映像の解釈にまで及ぶ。適宜に編集された映像であれば、時間認知でさえもねじ曲げることは可能だろう。さらに時間的に連続した聴覚情報を載せれば、人はその映像を「リアルタイム」と認知するに違いない。
ニコマスダンスMADは正にこれである。さらに言えば、ダンスMADは音の連続性に依拠した疑似リアルタイム映像であり、音声トラックに合わせてフッテージ(映像素材)を加工するという作業実体からしても、この表現の方が近い。つまりニコマスダンスMADは「音が主、映像が従」の動画なのだ。



おっぺけPはこのリアルタイム性を特に意識するPだ。この動画でも、歌い始める0:45か締めのフェード開始6:30まで映像は音声に合わせて編集されている。

俺のフェアリーちゃんが日本の世界で宇宙一(zoome)

新作ではついにカメラワークさえもリアルタイム化している。1:22からの貴音ソロ一連のカットを例にする。
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貴音のソロが始まってゆっくりとズームしていき一端ストップ。そして貴音の指がくるりと回るのに合わせてカメラがクッとさらに寄る。実際のライブでも、アイドルの動きに合わせてカメラは動かされるのは「ハロプロライブのカメラマンの技術に驚くフランス人」で紹介された通りだ。そしてこの1:07からのこのカットは特に凄まじい。


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1>2>3と貴音>美希>響への流れであるが、実は美希から響への繋ぎは連続したものではなく、途中でカットされている(4)。
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何故、貴音>美希(1>2)と美希>響(4>3)でカットされたかは、恐らくゲームの仕様で1>2の素材では響が小さくなってしまう、あるいは響がフレームアウトしてしまうので美希がアップされる4>3の素材を使ったという理由が考えられる。いずれにしても、この「一瞬の遅れ」を作る事が「実際に響がタイミングをずらしてしまった」あるいは「スイッチャーが響を捉えるためにカメラを切り替えた」等、視聴者に想像の余地を与え、疑似リアルタイム効果を増すことに成功しているのである。


おっぺけPが事象(リアルタイム)を志向するのに対し、RidgerPはテーマを語る。


おっぺけPの今夜は青春と見比べても分かるように、途中で衣裳も変わるし、5人からソロになったり、全てのシークエンスが同じ時間軸にある事象だとは到底思えない。じゃあこれが何かと言われれば「そういうものだ」とかしか答えられない。思えばRidgerPは元々こういう動画を指向するPだった。


雪歩、真、あずさ。RidgerPはこの3人がユニットという設定で3部作を作っている。この動画は2作目で、1作目の動画の最後の部分がアバンタイトルとなっている。その後で、これがラストコンサートで最後の曲であることが雪歩のアナウンスで知らされ、イントロが始まる。ここまでは「リアルタイム」だ。だが2:53、唐突に真のコミュシーンが挿入される。

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ニコマスのコミュシーンがPの一人称視点で作られてる事から、ゲームから切り離されたこの映像も「真と海辺にやってきた『誰か』の視点」である事が見て分かる。だが、これが誰なのか全くの説明不足であることに気付かないだろうか。この動画の主人公であろう雪歩だろうか。あるいは舞台脇にいるPだろうか。もしかしたら後に百合設定が明かされたあずさであるかもしれない。そもそも、この映像がステージシーンから見て何時か時間さえも分からないのに「過去」じゃないかと漠然と分かってしまう。
このように映像上は断絶している時間軸が一連の動画の中で「回想シーン」として認知されてしまうのは、音の連続性による所が大きいと思われる。このシーンに至るまでに映像と音がリアルタイムで流れてきたのだから、映像が時間軸から外れても音が流れている限り、この回想シーンの裏側ではステージがリアルタイムで進んでいるハズだという認識。つまり音が映像の連続性を担保しているのである。

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この構図は新作でも全く同じで1:50の暗転から唐突に始まる貴音ソロは、ステージシーンから戸は違う何らかの心象シーンある事は察せられるものの、全くの説明不足である。それでも何らかの解釈をするのであれば、寒色系に色調補正されたシーンにトレーニング衣裳そして何より一人であることからSP設定での華やかなステージとは裏腹の、貴音の孤独な心情が察せられる。

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だから5人で踊る貴音のこのピースサインは、RidgerPにとっては必然であったろうと思われる。おっぺけPであれば絶対使わないであろう「止め絵」をなぜ必然とするかと言えば、この動画のテーマが「仲間を得た貴音の喜びのステージシーン」では無いかと私は思うからである。というかRidgerPはいつもそうだ。映像の文法を完全無視するのに、出来上がる動画には引きつけられてしまう。訳が分からないよ。
posted by tlo at 23:24 | TrackBack(0) | 動画紹介
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