2011年12月31日

千早のこと



しょじょんP

この作品を見て考えたことが二つある。一つは、この作品における千早と視聴者の距離感について。もう一つは、ニコマス二次創作における千早の描かれ方についてだ。

まず一つ目。あくまで主観的なものなのだけれど、「遠い映像」と「近い映像」というのがあると思う。


遠い映像の例 アリシャスP


近い映像の例 けるまP

写真だと望遠から撮ったアップと近寄って撮ったアップでは画角が違うし、そもそも被写体のカメラへの意識が違うので出てくる絵は別物になる。
映像の側から言えば、音と被写体の同期がなされているかどうかでその映像が「記録」か「ライブ」か印象が変わる。
さらにハードの面で解像度が上がれば上がるほど映像はリアルと錯覚される。2K,4Kという超高解像度テレビは「窓から見える風景」になってしまうという。

けるまPの映像の圧倒的近さは主に720P、60fpsの素材からくるものであろうし、アリシャスPの映像の遠さは音と被写体の同期が外れている事が大きいと思う。
一方で、しょじょんPの映像は遠いのに異様な臨場感がある。
特に一曲目は正に「歌姫降臨」と呼ぶべき大迫力。三曲目、インスト曲とスローによる映像が「記録」的なのと対照的だ。四曲目はクローズアップのカットインがあったり、カットの前後のモーションのつながりはさほど意識されない等PV的。転じて5曲目はカット前後のモーションのつながりが意識されライブの意識が強くなる。4曲目と5曲目の差は音源の差もあるかもしれない。
VRFの美希の自作の動画はその辺りの距離感の実験も兼ねてみたのだけれど、VRFのコメント見る限り成功している様子。ただ、演出プランが固まりきって無かったので効果的に使えなかったなと思う次第。



二つ目。春香派のPにとってあの夜が宿題となるように、千早派のPにとって彼女の過去とどう向き合うかは宿題であった。

ゆきおんP

メイP

だが09年以降、この宿題は音Pなど一部のPを除けば無視されてきたきらいがある。それとも、千早派にとって、それはもう解決済みという事なのだろうか。そして宿題に正面から向き合ったアニマスの回答に、ほとんどのPが喝采をもって迎えたのはそれが自分の回答に近かったからなのだろうか。


えびP

「救われた」千早の笑顔には確かによかったねと祝福をしてあげたくなる。だが、自分にとって千早はこの作品の千早だった。崖っぷちで向かい風に向かってそそり立つ、凛とした彼女のなんと気高きことか。えびPにはなぜこのレベルを伊織でやらないのか問い詰めたいくらいである。
そしてしょじょんPの動画にも、ステージで一人立つ千早に同じ強さを感じた。「私が歌う所、そこが私のステージ」と言い切る絶対的な自信と矜持。そのカリスマ性において、アニマス23話でアカペラで歌う千早をも超えていると思う。
アニマスも終わり、6月のライブまで大きな動きは無いであろうアイマスだけど、まだやることは残されているのだなぁと、感慨深い次第。
posted by tlo at 20:12 | TrackBack(0) | 動画紹介
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