2014年01月29日

劇場版アイドルマスター感想

かな子は標準体重。いいね?



・評論部
「春香が/自己を/再確認する」というテーマの映画だったように思える。
これは北沢志保と衝突のあった後、カフェで千早から告げられる言葉に明確だ。すなわち「リーダーとしてで無く、天海春香が何をしたいのかが大事」だと。

そして春香は「ファンも、765プロの仲間、スタッフ、そしてバックダンサーのみんなも、全員がいなければ今の私はいない。だから欠かすことはできない」と答える。ここの春香の語りかけが映画のクライマックスであったに違いなく、ギレンの演説に匹敵する見事なアジテートすばらしいシーンだったと思う。
「私は天海春香だから」
haruka.jpg

この台詞のこのカットの構図、春香の横顔その後方に大きな空間が空く。視線の後ろの空間を空けるこの構図は過去や人生、背負ってきているものを暗示させる時に使われる。まさしく「ファン、仲間、スタッフ、出会ってきた人すべて」を「天海春香」は背負ってきている事が画でも示されるわけだ。これがアニマス最終話付近で春香が765プロ全員であることにこだわった理由であろう。

どこにでもいる、一人の女子高生でしか無い天海春香が、すべての人の想いを背負って行く。ある人は彼女を可愛そうと思うかもしれない。ある人は彼女を愛おしく思うかもしれない。あるいは神々しいと思う人もいるかもしれない。さらに、春香がアイドルマスターというコンテンツの象徴であるならば、出会ってきた人のすべてに我々Pも含まれる事になろう。天海春香が天海春香でありながら、天海春香以上の何かである事。つまりアイドルの理想像であることが劇場版で「改めて」示されたように思える。

・Dis部
最後のライブシーンについては妖狐PにMMDで作ってもらった方がいいものができるのじゃないかとさえ思うぐらいにひどかった。金を出して大画面で見るレベルには無いです。
さらに致命的なのが、サイリウムは降られていたけど、ファンの陰がない。つまりモブモデルを置いてない事。春香が「後ろの席まで見えるよー!」と叫んだ先にはファンの絵が無い。アイカツだったらちゃんと何種類かのモブモデルを用意するし、MMDでさえモブ用の棒人間モデルがあるというのに。
よって最後のライブにはおよそ臨場感はありません。ライブはBDで直すつもりなのかな。

・感想部
ミリマスはしてないけど矢吹ちゃんの事はCDで知っていました。なんでも歌にして唱ってしまうのだけれど、いわゆる音痴。だけどCDでもすごく楽しそうに歌うので自分も日常のなんでもない事を唱ってみるのは楽しいかもと思ってしまうぐらい。なので土手で寂しそうに歌うシーンには心が痛みました。
それでふと思い出したのが、かな子の事でした……体型のことではありません。何度でも言いますがかな子は標準体重です。
以前、かな子が新人アイドルのライブに先輩アイドルとしてゲストとして呼ばれるというシチュエーションのイベントがありました。今回の劇場版とちょっと似ていますが、違うのはかな子自身がまだデビュー間もないという事でした。事実コミュでは、打ち合わせで言ってる事がわからない、練習が厳しい、トレーナーにしかられた、歩くのさえつらいと心情を吐露します。
そんな中「ここに置いてあったクッキー、プロデューサさん食べました?」と聞いてくるコミュがあります。落ちとしてはかな子が気づかない間に食べていたというものなのですが、よくよく考えるとこれがすごく怖い。
かな子は言わずと知れた甘いもの好物スイーツ大好きな子で、実においしそうにジェラートを食べる姿はカードの絵柄にもなりました。そんな彼女が、食べたことにさえ気づかない。もしかしたそれぐらい精神的に追い込まれているのでは……と当時ネタとして受け止めていた周囲をよそに、一人心配になっていたり。
私自身、本番でやらかして仕事が事実上の契約破棄になった経験があり、今回は矢吹ちゃんに感情移入しまくりだったので、最後に春香さんに助けてもらって本当に良かったと思いました(粉蜜柑
posted by tlo at 22:23 | TrackBack(0) | 日記
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